映画「1917」レビュー・解説・感想 アカデミー賞受賞! 95点 ワンカットの衝撃&没入感…圧巻の映画体験は“見ないと死ぬ”!

2020年5月25日

95点:映画を超えた“圧巻の体験” 劇場で見ておかないと死ぬ

 試写で鑑賞。誰かがこう言っていた。「この映画を見たら人生が変わる」。さもありなん、と思う。いやもう、これがとてつもない映画体験だった。“2時間ワンカット”の没入感がここまで激しく、素晴らしいものだとは思わなかった。

 鑑賞中は息もつけず酸欠状態になり、鑑賞後はもう、立てなかった。本当にスゴイものを見たとき、人は立てなくなるんだと痛感した。

 鑑賞した人と連れ立って、ビールを飲みながら思う存分「あのシーンがすごかったよなあ~!!」と語り明かしたくなる。そんなタイプの素晴らしい映画である。

 この記事では、「この映画のここがすごい!」を詳細に語るとともに、監督らの証言から“製作の苦労”を明らかにしていく。

物語・キャスト・スタッフ

 最初に「この映画のこの人たちは、何が目的なのか」を見失ってしまったら、結構悲惨なことになる。ワンカットで物語がどんどん進むため、改めて説明されることがない(あってもわかりづらい)からだ。だから、本編を見る前にまずは、ここで物語をおさらいしていってほしい。

 第一次世界大戦中の1917年4月、フランス。ドイツ軍と連合国軍は睨み合っていた。イギリス軍の若き兵士スコフィールドとブレイク(主人公)は、重要な任務を与えられる。ドイツ軍を追撃中のマッケンジー大佐の舞台に、ある伝令を届けることだ。

 伝令とは、「今実行している“逃げ惑うドイツ軍の追撃”を即座に中止せよ」という内容だった。というのも、航空写真から、ドイツ軍は逃げ惑っているのではなく、大佐の部隊を要塞までおびき寄せ、待ち伏せして叩き潰すつもりでいるらしい、とわかったからだ。

 このまま追撃が行われると、部隊の1600人の命がない。すべての通信手段が断たれており、連絡する術が“伝令”しか残っていない。スコフィールドとブレイクが最後の頼みの綱なのだという。

 しかし、大佐の部隊に追いつくためには、ドイツ軍が築いたトラップだらけの塹壕や、ドイツ占領下の街を越えなければならない。しかも部隊にはブレイクの兄がおり、彼のためには一刻の猶予も許されない。

 2人は泥に塗れた塹壕をはいでて、あまりにも危険なドイツ軍の占領地へ足を踏み入れていく――。

監督:サム・メンデス

 「007 スペクター」「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」などで知られる名匠。初めて脚本も手掛けている。彼が子供の頃、祖父が繰り返し話してくれた物語を脚色し、映画化した。

 祖父アルフレッド・H・メンデスは上等兵として第一次世界大戦に従軍しており、命がけの伝令をこなすなど活躍。今作の物語はフィクションであるが、明らかに祖父に対して捧げられたものである。

 それを知ったうえで物語を眺めると、非常にグッとくるものがありまくる。

撮影監督:ロジャー・ディーキンス

 「ショーシャンクの空に」「007 スカイフォール」「ブレードランナー 2049」などを手掛けた、ハリウッドを代表する撮影監督。均整のとれた構図や、陰影の美麗さが持ち味。

 今回は非常に難しいミッションに挑んでおり(後述)、おそらくアカデミー賞の撮影性は鉄板だと思われる。

キャスト

 ジョージ・マッケイ、ディーン・チャールズ=チャップマンという若手俳優が主役2人に。

 ほか「キングスマン」のコリン・ファースとマーク・ストロング、「ドクター・ストレンジ」のベネディクト・カンバーバッチ、「007 スペクター」のアンドリュー・スコットも要所要所で印象的に登場し、観客を「あっ、ここで出てくるのか!」と驚かせる。

1917の“ここがスゴイ!”

 一言で言えば、“屋外でのワンカット”で構成されているという点だ。これがどれほど難しいのかを例えるなら、人間が水上の上を走ることくらい難しい。

 理論上は、右足が水に沈む前に左足を出して、を繰り返せば歩ける。しかしそんなことは不可能だ。今作「1917」は、それを実現しているのである。

屋外ワンカットという難しさ

 ワンカットというと、近年では「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、日本では「カメラを止めるな!」が思い浮かぶ。

 前者は複数のカットをつなぎ合わせワンカットに見せかける、いわば“疑似ワンカット”。それでも技術的には極めて難しく、思いついたとしても手間がかかりすぎて誰もやらなかった手法だった。結果的にアカデミー賞を総なめすることになった。

 後者は説明不要、超低予算ながら30億円超の大ヒットを記録した化け物邦画だ。映画前半の30分以上に及ぶ物語を、完全にワンカットで撮りきっている。

 これはほぼ屋内で、しかもなかなか狭い範囲でのドタバタをとらえてはいるものの、物語の伏線の見せ込みと回収を、前半のワンカット&後半のドラマのふたつのレイヤーと辻褄をあわせながらしなければいけない。

 さらに、「このタイミングでこいつが出てくる」「で、後ろで見切れている」「そうするためには、ここでこいつがこう動いていなければいけない」などキャストやスタッフのかなり複雑な動きが要求されたため、めちゃくちゃ難しかっただろう。

 今作「1917」も、流石に2時間丸々ワンカットなわけではない。鑑賞しながら数えてみたが、確認できただけでも4カットくらいに分かれていて、それを編集でつなげワンカットに見せている。

 例えば、ネズミの爆弾が爆発したときに、一瞬だけブラックアウトする。これが編集点。そのほか、建物にカメラが遮られる瞬間や、水に入った瞬間など、いくつか編集点が見受けられた。

 しかし、それでも4カットだ。ひとつのカットは非常に長く、単純計算で30分。つまり、「カメラを止めるな!」の約4本分。しかも今作は屋外ロケのみだから、その難易度はさらに跳ね上がる。

 天候や風向きなどアンコントローラブルな条件がつきまとうし、舞台が広いためさらに複雑な動線設計が求められるからだ。撮影が始まってから、照明が使えない(カメラが動き回るから、必ず照明が映ってしまう)ことがわかるなど、信じられないアクシデントも頻出した。

 もちろんワンカットなので、途中でNGが出たら最初からやり直し。失敗できない。後半に進むにつれ、プレッシャーが二次関数的に増していく。その緊張感を想像すると…いや、想像もしたくない。吐きそうになってくる。

 だから、この作品が完成し、これほどまでのクオリティであることが、正直言って信じられないくらいだ。

撮影の苦労はこんなことまで…

 ワンカットの撮影は難しい。さらにそこに屋外という要素が加わるものだから、その難易度はもはや不可能に近い。でも「1917」は実際に完成し、しかもドラマとしても非常に高いレベルであった。

 それこそが、この映画のすごいところなのだ。

 メンデス監督は、2019年10月のNYコミコンにおいて、製作の苦労をこう語っている。

 「通常、映画製作の際は編集という魔法の切り札があるが、本作ではできない。俳優たちの演技にあわせ、カメラマンとスタッフが息を合わせ撮影した。ときにはカメラマンがワイヤーに繋がれ上空を横切って撮影し、地上に降りた瞬間にワイヤーを外し、カメラを持ったまま走り続け、ジープに乗って366メートル撮影した後、ジープから降りてからさらに撮影を続けた」。

 ディーキンスはこう明かす。

 「ロケーション撮影だったから、天候に左右された。カメラマンがあらゆる角度から撮影するので、照明は使えない。物事が発生した順に撮影していくので、雲の動きが一つでも続いていなければ辻褄が合わなくなる。太陽が隠れて、撮影ができなかったら、リハーサルをして過ごした。太陽が出た瞬間に、大慌てで撮影を始めるんだ」

 それだけに、リハーサルも尋常ではない量が行われている。

 メンデス監督「これまで監督したなかで、最もリハーサルをした作品だ。普通の映画なら、編集(場面転換)で場所や時間は省略できる。しかし今作の場合、脚本に『廊下を歩いて二階へ上がり、納屋から果樹園に出て家屋へ向かう』というシチュエーションがあり、セリフも書いてあったら、セリフと俳優の移動がピッタリ合うように事前に測らないといけない。

 野原や川、森などのロケは何ヶ月もかけて、撮影監督のロジャーを含めて、脚本片手に距離を測り、丘を上り下りしていた。ある日、マーク・ストロングとジョージ・マッケイが歩きながら話すシーンを撮影していた。そばにはトラックが4台駐車していたが、マークがセリフを言い終えたとき、彼らはピッタリと4台目のトラックの横に到達していた。マークは『すごい偶然だ!』と言っていた。偶然じゃない! 数え切れないくらいリハーサルをしたんだよ!(笑)」

そこまでして、ワンカットにこだわった理由とは

 メンデス監督がここまでこだわった理由は、一言で言えば“没入感”にある。

 メンデス監督「第一次世界大戦は現代の戦争であり、映画化するにあたり“リアルタイム”で、物語の主人公の息遣いのような詳細まで描くために“長回し・ワンカット”で撮影することがベストだと考えた(中略)観客がいかに今作に没入できるかが重要だったし、そのためにこの手法を選んだ。若き2人の兵士たちの氏名が、以下に大変なことだったかということを理解してもらうために」

 ディーキンス「観客には本作がワンカットで撮影されている、と思いながら見てほしいわけではない。それに気づかないくらい没入して、体感してもらいたいんだ。撮影1週間後に編集された映像を見たが、自分でもワンカットの映像とは感じなかった」

 メンデス監督「カメラは3人目の登場人物となり、観客はそれを意識しなくても済む描写になっている。没入感に浸らせると言っても、それを意識させたら失敗だ」

 製作ヒッピ・ハリスは、聞いているこちらが「そんな苦労があったのか…」と同情を禁じえないことを告白している。

 「すべての撮影において、通常の撮影とは違った準備をして臨んだ。シーンによっては塹壕のなかで何分も撮影しなければならないこともあったらから、何マイルも続く塹壕を作らなければならなかった。技術スタッフはとても大変だったと思う」

 アカデミー賞の技術部門は、おそらくこの作品が総なめだろう。

レビュー・感想

 いやもう、これがとてつもない映画体験だった。“2時間ワンカット”の没入感がここまで激しく、素晴らしいものだとは思わなかった。

 鑑賞中は息もつけず酸欠状態になり、鑑賞後はもう、立てなかった。腰が抜けた。本当にスゴイものを見たとき、人は立てなくなるんだと痛感した。

 誰かがこう言っていた。「この映画を見たら人生が変わる」。さもありなん、と思う。この映画を見たことにより、「俺は『1917』を見た」というステータスが手に入り、まだ見ていない人に対して“優位性”というかなんというか、マウント意識みたいなものが生じる。

 とにかく、見ていない人に対しては「マジで映画館で見たほうがいいよ」とニヤニヤしながら伝える。で、見終わったあとを見計らって飲みに誘って、ビールを飲みながら思う存分「あのシーンがすごかったよなあ~!!」と語り明かしたくなる。

 そんなタイプの素晴らしい映画である。

 特に撃ち落とされた戦闘機が、こちらに落下してくるシーンの臨場感。本当に「すげえ」としか言いようがない。語彙力がまるごと吹っ飛んでしまう。

 あと好きだったのは、ドイツ軍に占領された街にたどり着いたとき、スコフィールドが遠くに人影を見つけるが、「あれは味方か? 敵か?」と恐る恐る近づくシーン。

 結果、その人影は敵(ドイツ兵)であり、スコフィールドは脱兎のごとく逃げるが、向こうも「あっ、あいつ、イギリス兵じゃん!」となって途端に襲いかかってくる。

 映画的じゃない間抜けな展開が異常にリアルで、この瞬間、まったく新しいタイプの傑作を目の当たりにしている、という幸福感が全身にみなぎってきたのをよく覚えている。

 その感動は、クライマックスのスコフィールドが爆撃のなかを激走するシーンで極まる。手に汗握り、涙が頬をつたい、頑張れ、と口走ってしまう。とてもとても、素晴らしい瞬間を味わわせてもらった。

 また、この作品は“映画をつくる喜び”を極めて高純度で凝縮しているように思える。

 見ていて、「このシーンが成功したとき、全員がガッツポーズしただろうな」「カットがかかったあとの歓声が想像できる」「なんて楽しそうなんだ」と思わずにいられなかった。

 キャスト・スタッフがこの企画を聞いたとき、どんな反応を示したかというと、ほぼ全員が「本気かよ」「冗談だろ」「イカれてる」と懐疑的だったそうだ。ディーキンスですら、「爆撃のなかで走るシーン。あれはとにかくクレイジーだった」と本音を漏らしている。

 これに対し、メンデス監督はこう返している。

 「監督の立場からは、どんなときにもクレイジーだと思ってはいけない。(中略)この撮影方法がいかに大変か身にしみた。しかし、うまく進んだときは本当にこことが踊るし、気持ちが上がる。おかげで何日間も頑張ることができた。

 スタッフや俳優が一斉に仕事しているのを見ると、例えばあの爆撃のなか走るシーンがいい例だが、一眼となって大きなものを作り上げていると実感できた。それはとてもエキサイティングだったし、感動的だった。

 わずか1年半くらい前には、自分1人と数行しかなかった物語が、脚本となり、製作チームに準備され、キャストが決まり、エキストラが決まり、全員が現場で揃ったのを見たときは、本当に大きな感動しかなかった。

 僕がこれまでのキャリアで手掛けた最もエキサイティングな仕事だった。どの世代の人たちへも、また男性にも女性にも同じように響く人間ドラマが描かれている。誇らしい作品として仕上げたから、見た人たちが本当に好きになってくれたら嬉しい」。

 とても素敵なコメントだと思った。

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