元気がなくなった時にオススメの映画5選

 面倒な前置きは省きますが、29歳・都内在住・会社員の僕が、個人的に「元気がなくなったときに見る映画」を5本紹介します。

 それではどうぞ。

「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」

 なんとなく気落ちした、という時にオススメ。一流レストランの元総料理長が、フードトラックの移動販売をはじめ、息子と相棒とともにアメリカを横断する姿を描いたハートフルコメディです。製作・監督・脚本・主演は、「アイアンマン」シリーズのジョン・ファブロー。

 とにかくあったかい元気をもらえるので、実は昨日も見たんですが、何故なんとなく見始めて、最後まで見てしまうんだろう、と考えたところ、それは「スピード感」にあるんじゃないか思いました。

 料理が出てくる映画って、「かもめ食堂」だとかから“スローライフ”のイメージがついていたりしますが、この映画はめちゃめちゃスピーディーに展開します。余韻は必要最低限。不可欠なシーンを描いたあとは、短い味わいを残してスッパリと次の展開へ。会話も中南米のエッセンスが充満しているため、とにかく早口でべらべらしゃべります。シークエンスとシークエンスの間は、激しいと言ってもいいくらい気持ちよくカットされていきますし、物語はケツを叩かれているかのように性急に進んでいきます。

 このスピード感って、多分“シェフの料理そのもの”を表していると思うんです。シェフの手さばきって、素人からすると何をしているのかわからないくらい素早く、鮮やかですよね。みるみるうちに美しくおいしそうな料理ができあがっていくさまは、もはや魔法にすら見えます。

 この映画は、そんな感覚を大事にしているんだと思います。一度再生するや、画面に映る手さばきから目を離せない。エンドロールが終わるころには脳にビビットだけど優しい「快感」が残っている。アクション映画とASMRをかけ合わせたような、不思議な感覚です。

 もちろん、離れて暮らす現代っ子の息子と、どう接していいかわからない職人気質の父親の心の通わせあいや、主人公がフレンチからメキシコ・キューバ料理にシフトしていく過程を通じた“社会へのメッセージ”などのテーマも見事に描ききっていますので、普通に泣けます。ジョン・レグイザモ扮するマーティンの有能ぶりにも、癒やされること間違いなし。そしてカールが評論家に怒りをぶちまけるシーンは、「これジョン・ファブローの本音だろう」と思い、いつも笑ってしまいます。

南極料理人

 料理ものが続きます。こちらは心が寒くなっていたり、くさくさしたりする時にオススメ。主人公は、極寒の南極ドームふじ基地にやってきた8人の観測隊員の1人・西村。仕事は、隊員の毎日の食事を作ることです。約1年半、隊員たちは研究などに明け暮れていきます。監督は沖田修一で、「キツツキと雨」もめちゃめちゃ好きです。

 日本から遠く離れた氷の大地で紡がれる、ごくごく普通の日常。そこでは食べることだけがほぼ唯一の娯楽だし、クソしょうもないことでいざこざが起こったり、険悪な雰囲気が流れたりする。でも、生きるということは、どんなところであっても変わることはないのではないか。何が起こるわけでもないし、大体のシーンは真っ白な寒々しい雪景色だけれども、それでもなぜか、この南極の生活をうらやましいと思ってしまう自分がいる。

 それは多分、彼らが“生きる”ということに、最も純粋だからではないだろうか。タイチョーがラーメンを啜ったあとに見せる笑顔。西村くんが脂っこい唐揚げを食べたあとに流す涙。盆がバターを貪りながら丸める背中。兄やんがずり落ちる眼鏡をくもらせながら、ハフハフとかきこむおにぎりと豚汁。きっと、彼らは生きることに向き合っていた。だから、うまく生きられていない僕は、この映画がひどく愛おしいんだと思います。

 好きなシーンは無数にあるんですが、何度も見てしまうのは終盤の西村くんと本さんが卓球をしながら、かんすいについて話すところ。「何回テイクを重ねたんだろう」と思うとともに、OKカットがここまで“にじみ出るもの”があるのは、もはや事件的だと感じます。


「トレイン・スポッティング」

 極めて深刻な劣等感に苛まれていたり、やけくそ気味になっている時に。ヘロイン中毒に陥ったイギリスの若者たちの生態を、斬新な映像感覚で生々しく描いています。監督は「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイル。

 退廃的なレントンたちの日常は、見ているだけでも刺激的で、「下には下がいる」とややサディスティックな愉悦に浸らせてくれます。レントンが便器に顔を突っ込んでそのまま潜っていくシーンと、カーペットに吸い込まれていくシーンは、個人的には映画史に残る名場面だと思っています。ついつい、そこだけを再生してしまうんです。

 思春期には田舎暮らしにうんざりしていたときもありましたが、ダニー・ボイルの創出する乾いた映像世界に身を任せてからは「スコットランド人に比べりゃマシか」と思い直すようになったことも。でもまあ、最近は、足の引っ張り合いが古来から常態化する日本という国に対し、少なからず絶望するわけですが…。

 そして、「下には下がいる」という愉悦とは逆に、「日常は常に不安定であり、自分がいつのっぴきならない状態に陥っても、おかしくない」ということも、この映画は痛感させてくれます。今の自分の考えは、甘いのではないか? 今の自分の立場は、安全とは言い切れないのではないか? 虚ろな日々を空費し、社会の最底辺付近に身を落とす彼ら全員の姿や、まともに生きようとしてもベグビーに粘着されるレントンを目の当たりにし、「もう一度、注意深く生きることを念頭に置こう」と背筋が伸びる思いがします。

「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」

 クソみたいな組織にすり潰されそうになったり、理不尽で大きな流れに打ちのめされたりした時に。刑務所から脱出したかと思えば、クレムリンで大爆発に巻き込まれ、テロリストに仕立て上げられ、助けてくれた長官はあっさり殺され、冷たい川で銃撃にさらされ、本命のテロリストを追って世界一高いビルに向かうも普通に死にかけるなどなど、こんなにひどい目にあうこと、あります?

 ……と思ったら、イーサンは「フォールアウト」でさらにとんでもない目にあっているんですが、今作は完成度がはちゃめちゃに高く、シリーズで最も好きな作品です。

 まず、この映画は完璧なんです。オープニングシーンからラストのイーサンが蒸気に消えるまで、徹頭徹尾、完璧。無駄なシーンが一切ないばかりか、シリアスな場面とコミカルな会話が絶妙に噛み合い、触れれば瞬時に脳汁が溢れ出すようなシークエンスを連続させています。そうした完璧さが、僕の魂を高揚させ、精神の平衡をもとに戻してくれるんです。ブラッド・バード監督、ピクサーのときから最高だ、愛してる。

 そして何より、イーサンたちが“物語に動かされていない”ところが魅力的です。先々の展開の整合性をとるため、登場人物が非合理的な行動をとったり、観客の存在をあからさまに意識したような説明くさいセリフを吐いたりしない。常に短いがキレのある芝居とセリフが続き、片時も画面から心を離させない。イーサンがブルジュ・ハリファの窓枠に体をぶつけ、転落しそうになるシーンは、何度見ても心臓が止まってしまいます。

 そしてブラントの「誰にだって秘密はある。そうだろ、イーサン」というセリフは、個人的に最も好きな何気ないシーンランキングでぶっちぎり1位です。ちなみに僕は普段は字幕派ですが、「ミッション・インポッシブル」シリーズとピクサー映画だけは吹き替えで見ます。好きなんですよ、これだけは。

「ドラえもん のび太と竜の騎士」

 自分の頭のなかが義務やら面倒事などでパンパンになり、面白いことが考えられていないな、と感じた時、僕は大長編「ドラえもん」を手に取ります。藤子・F・不二雄先生の「日常世界の一部が“もし不思議なこととつながっていたら”」という想像力がたまらなく好きで、SF短編集もよく読みます。瞬時に僕を“すこし不思議”な世界に連れて行ってくれて、のび太とドラえもんたちの冒険が脳のスイッチを「面白いこと」に切り替えてくれるからです。

 特に「竜の騎士」は、恐竜は実は生きていて、今もときどき人間世界に迷い込んでしまう、という想像力がとても良い。現実主義のスピルバーグとも違う。またスネ夫の自宅に恐竜が現れるシーンは、驚きとともにワクワクがこみ上げてくるという、他には得難い感覚を子どもの僕に与えてくれました。恐竜が近所の川を逆流してやってきていた、という点も、日常生活に隣接していてワクワク・ポイントが高いです。

 あと大長編でいうと、「海底鬼岩城」の巨大イカにテントアパートが破壊されるシーンや、バトルフィッシュのファーストルックも好きです。「アニマル惑星」のモヤのなかから始まるオープニングや、飲み込むのが地獄であろう道具「ツキの月」も好き。「鉄人兵団」では鏡の世界にしびれ、「日本誕生」のカブ(畑のレストラン)がめちゃめちゃ食いたくなったり。恥ずかしながら「ねじ巻き都市」以降は見ていないんですが、最近のはどうなんでしょうか。「新宝島」は傑作だと聞いたので、見てみたいんですけども。