映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」評価・あらすじ・感想 製作陣も観客もみんなバカ オタクの夢を鍋にぶち込み煮詰めてジャムにした傑作

2021年7月2日

神話のようだ…

 日本の怪獣王ゴジラを米ハリウッドで映画化した「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」。5月31日に全世界同時公開され、日本では興行収入40億円超を狙える大ヒットスタートを切りましたが、アメリカでは大苦戦している模様。

 しかしながら個人的には、「死ぬほどの興奮が味わえる傑作である」と断言できる仕上がりだと思っています。なぜか。以下に書いていきますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます(上司へのメール感)。

・監督はしびれるほどのオタクっぷりを発揮するやべーやつ

監督のマイケル・ドハティ。やばいゴジラオタクとして有名。

 マイケル・ドハティ監督。ヨーロッパ中部で語り継がれる伝説の魔物をモチーフに描いた「クランプス 魔物の儀式」のメガホンをとったほか、「X-MEN2」「スーパーマン リターンズ」の脚本を手がけたことでも知られています。

 そんな彼ですが、映画.comのインタビューで狂信的なゴジラオタクであることが発覚し、ネットユーザーを震撼させました(以下抜粋)。

――製作の日々では、童心にかえる瞬間がたくさんあったわけですね。
ゴジラは僕が童心にかえるために大切な存在なんだ。子どものころ、カトリック系の学校に通っていたんだけど、聖書にゴジラの絵を描いてよく怒られていた(笑)。

――神に対する背徳なのでは(笑)?
そんなことないよ! むしろいいことだよ。何にだって、どんな映画にだって、ゴジラを加えればより良くなると僕は思っている。想像してごらんよ、「スター・ウォーズ」にゴジラを足したら、やばいだろ? 「七人の侍」だってさらに良くなる。54年版の「ゴジラ」にゴジラを足したら、ゴジラがダブルで登場してさらにやばい。


――ゴジラの持つ“役割”は、各作品によって異なるように思えます。今回、どのような役割をゴジラに与えましたか。
ゴジラは、人類ではなく自然に対する守護者だ。人類が自然のルールに沿って生きている限りは、人類の味方になるだろう。一方で自然に敵対すれば、彼(ゴジラ)は自然の守護者であるため、人類とも敵対する。「ゴジラの役割が作品によって変化する」のではなく、人類の行動によって彼の行動が変わるのだと僕は考えている。そしてキングギドラが自然を脅かすのであれば、当然戦うことになるんだ。

――最後に。ドハティ監督にとって、ゴジラとはどんな存在なのでしょうか。
God.

https://eiga.com/news/20190530/19/

 「超がつくゴジラ好きが莫大な製作費を手に入れ、趣味全開でゴジラ映画をつくったらとんでもない作品ができてしまった」とか言われているし。これ以外にもこのインタビュー記事の監督の発言は、名言のオンパレードです。

・怪獣オタクの夢と野望の全部を鍋にぶち込み、煮詰めてジャムにしたみたいな傑作

バトルに死んだ

 そんな監督が撮った映画ですから、怪獣の描写はとにかく観客を興奮させ、「まいった死んだわ俺」と言わせることに極振り。バトルシーンは興奮で観客が死ぬ。大怪獣プロレス。あらゆる劇中音楽、効果音が鳥肌級なので、音響のすごい映画館で見ればその感動は何100倍にも膨れあがるでしょう。

 ゴジラの咆哮。空気が唸りをあげて振動し、背びれがまばゆいばかりに青白く発光し、そして放たれる灼熱の光線。ギドラの全身から放出された雷が、天を貫き空を焦がす。モスラは神々しささえ湛えた美しい体を投げ打ち、ゴジラに力を与える。“ゴマスリクソバード”ことラドンは空中で回転して戦闘機をぺしぺしと墜落させる。謎の念仏が織り込まれたテーマ曲。謎だが勢いに圧倒されるBGMの数々。どれもこれも最高だ…!

 あまりの迫力により脳汁全開。見ている間、IQがただただ下がるため、映像へのレビューにも別に大層な言葉は重ねません。バトルシーンが収められた予告映像を置いておきますので、とにかく見て、感動をまた味わいましょう。

・製作陣の理性のブレーキは確実にぶっ壊れてるし、そもそも踏むつもりもなさそうで最高

 今作が特筆して異常なのは、現在のハリウッドでここまで趣味全開の映画が完成した、という点です。「超絶オタクが脚本・監督を兼ねて製作した」とは言いつつも、製作の手綱を操るのはプロデューサー陣や、もっと言えば出資者。彼らがリスクを嫌って首を横に振れば、映画は製作できません。しかし「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は、上述のとおりどう考えてもブレーキがぶっ壊れているような作品となっています。

 それはなぜか? 「裏にはこんなからくりがあって~」みたいな、クソつまらないことではありません。シンプルに、製作している全員がイカれているだけの話です。

 出資者もプロデューサーもスタッフもキャストも、全員が全員、理性のブレーキがぶっ壊れている。だから「こうしたらすごくない? すごいよね」「すごい」「これもこうしようよ」「めちゃめちゃ興奮する」「やばい」みたいなことで要素がモリモリになっていく。止める人間はいない。

 さらに言えば僕たち観客の理性もガバガバであるから、今作の興奮を無遠慮に受け取って「しゅげえ~」と放心するんです。製作陣も観客もみんなバカ。でもそれって、悪いことではなく、むしろめちゃくちゃ幸せな映画体験だと思います。今作は、映画館で映画を見る喜びにあふれている。

 思えば、「名探偵ピカチュウ」もそんな“趣味全開映画”でした。製作者がそのジャンルへの愛を全力で注いだ映画、それが今後の潮流であることは、間違いなさそうです。

・人間ドラマが弱い? 渡辺謙の魂の芝居だけでよくない?

 一方で人間ドラマに対する批判は少なくありません。確かに大体の登場人物が妙な行動原理で動いているし、合理性や妥当性ではなく物語展開の都合で行動が決定している感があります。ベラ・ファーミガ演じるエマ・ラッセル(お母さんね)も、やることなすこと裏目になるし、控えめに言って“狂っている”ようにしか見えなかった。さらには、果たして死ぬ必然性はあったのでしょうか? ギドラをひきつけるためオルカを抱えて車で疾走していきましたが、別にそのへんに置いて、一緒にオスプレイで逃げればよかったのでは? そういうことでもないのでしょうか。

 というような諸々の行動について不思議に思いつつ、僕は渡辺謙の存在感に感服していました。前作から今作まで、全編通じてかたくなに「ガッジーラ」と発音せず「ゴジラ」と言う、あの感じにしびれる。そして、ゴジラに核爆弾をレッドブル的に持って行き、自身を犠牲にしても起爆スイッチを押す、あのときの表情とセリフ。最期の言葉は、日本語で「さらば、友よ」でした。渡辺謙が台本の読み合わせの際、アドリブで日本語セリフを放ったところ、好評を得て本編に採用となったそうです。これも最高すぎる。

 これだけ大規模なハリウッド映画で、日本人がここまでの存在(ほとんど主役といってもいい)を担うことって、もしかすると史上初めてなのではないでしょうか。「インセプション」「ラスト・サムライ」と比肩する、いやそれ以上の渡辺謙の魂の芝居。これがあるだけで、ほかの人間ドラマについてはどうだっていい、そう思わせるに足る演技でした。

・エンドロールにも愛があふれる。怪獣と日本へのリスペクトが感動的。

 エンドロールでもアツい仕掛けが。キャストの名と役名が羅列されている最後に、ゴジラ、モスラ、ギドラ、ラドンの名もありました。しかも、「ゴジラ 彼自身」「モスラ 彼女自身」などと記載されていて、ドハティ監督が「僕らが作り出したんじゃなくて、ゴジラたちが彼ら自身を演じているんだ」というメッセージのように思えます。監督にとって、怪獣たちは架空の存在ではなく、実在を伴うリアルな“友人”なのでしょう。

 そしてエンドロールの最後、「in memory of」が涙腺を刺激します。製作中だった2017年8月7日に死去した中島春雄氏(ゴジラの初代スーツアクター)と、同年5月7日に死去した坂野義光氏(「ゴジラ対ヘドラ」監督。ハリウッド版製作においても多大な力を注いだ)への追悼の意が示されています。怪獣と日本へのリスペクト。今作が作劇的欠陥を抱えていながらも、どうしても傑作だと諸手を挙げて絶賛する理由は、じつはこういうところにあるんです。

中島春雄氏

 ありがとう、マイケル・ドハティ。次作「ゴジラvs.コング」(2020年公開)では監督しませんが、脚本などには少しかかわっているそうです。2020年も、またすさまじい作品が見られそうです。

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